- 「オープンチャーチ」をきっかけに
- それは1枚の「オープンチャーチ」のお誘いパンフレットから始まりました(「オープンチャーチ」は勝田台教会が、毎年1回、10月に開催している催し物です)。ある会でご一緒だったYさんが、わが家のポストに投函してくださったものでした。その頃の私は、引っ越し前に所属していた遠方の教会に通っていましたが、「いい機会だから、勝田台教会に行ってみよう」と思いました。少し道に迷いつつ、かわいい教会に着きました。中に入ると家庭的な雰囲気で、関西にいたときに通っていたT教会を思い出しました。その後、何度か、疲れた羽を休める鳥のように、勝田台教会の礼拝に出席させていただくようになり、転入会させていただくことになりました。最後は、病気に背中を押された形ですが、そこに神様の導きを感じずにはいられません。(60歳代・女性)
- 神様の不思議な風
- 昨年から、子どもたちの礼拝(教会学校)の、讃美歌の伴奏をやらせていただくことになりました。ピアノを触るのは30年ぶりです。子どもの頃は、練習がつらくて泣いていましたが、今は、楽しく練習しています。私の両親は、老人ホームに住んでいますが、クリスチャンではありません。私が訪ねていった時にたまたま教会の話になり、伴奏の話をしたところ、とても喜んでくれました。神様は不思議なことをなさるなあと思います。聖書に「風は思いのままに吹く」(ヨハネ3・8a)という言葉があります。私はこれからも、神様の不思議な風の導きに従って歩みたいと思っています。(40歳代・女性)
- 精神的に追い詰められたとき
- 両親がクリスチャンという家庭に育ちました。しかし思春期になると、貴重な日曜日の午前中が礼拝でつぶれてしまうこと、聖書に書いてあることが「道徳臭いお説教」としか思えないことなどから、教会とは無縁な日々を過ごすようになりました。就職後、仕事のストレスで追い詰められた時、少しの間、教会に戻ってきたことがありますが、調子を取り戻すと、また神様を忘れて、日々の生活に追われるようになりました。ところが一昨年の後半あたりから、精神的に追い詰められることがあり、わらをもつかむ思いで、礼拝に出るようになりました。今は、落ち着きを取り戻し、神様の恵みに感謝の日々です。聖書に、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」(コリント二12・9)という言葉がありますが、まさにそのことを痛感した次第です。(60歳代・男性)
- 「ゆるされる」という贈り物
- 私が洗礼を受けたのは、18歳のクリスマスイブでした。でも、その頃は、私の心の中に、おごりがあったと思います。その後、「一寸先は闇」という出来事に遭い、「神も仏もあるものか」と思い、どんどん神から遠ざかってしまいました。私が一応のけじめをつけて家に戻ったとき、それまで私を探し続けてくれた親友、家族は、何も言わず温かく迎えてくれました。聖書にある「放蕩息子」のお話のように。神の前に立ち、心からの「ごめんなさい」と感謝を表した時、何とも言いようのない喜びと安堵感で満たされました。本当の幸福は、罪がゆるされるという神からの愛の贈り物でした。(70歳代・女性)