時を越えて

《 ペトロの手紙一 1章22-25節 》
 今日は、ペトロの手紙一の箇所から、聖書の言葉に耳を傾けたいと思います。聖書を読む際に大切なことの一つは、書かれた当時のことをより具体的に思い浮かべながら読むことだと思います。そのようにして、今日はこの手紙の1章を中心に見ていきたいと思います。
 この手紙が書かれた時代というのは、キリスト教がまだ全体として非常に少数で、周囲からも迫害を受けていた状況でした。ローマ帝国の中で、その支配による直接的なものもあれば、周囲の人々から受ける迫害というものありました。そのような状況の中で、人々は不安を覚え、また信じていたことが揺らぐという状況にあったと思います。自分たちが信じていたことはいったい何だったのだろうか。そのような思いに対して、この手紙は真っ先に1章のところで、主の言葉は決して変わることはないのだということ言います。「朽ちず、汚れず、しぼまない財産」(1:4)という言葉があり、同じように植物のたとえとして「花は枯れ、草は散る。しかし、主の言葉は永遠に変わることはない」(1:24)と繰り返し告げられています。これは、たとえば日本の平家物語の「沙羅双樹の花の色、盛者必衰のことわりをあらはす」に似ているとも言えます。しかし、この言葉は、旧約聖書のイザヤ書40章6-8節の引用で、より際立っているのは「主の言葉は永遠に変わることがない」、「主の言葉はとこしえに立つ」(イザヤ40:8の訳)という点です。枯れるものに対して決して朽ちないというコントラストが鮮やかで、聞く者の印象に強く残ります。
 そしてそのことは、彼らのもう一つの不安を和らげました。当時、最初のクリスチャンたち、つまりイエス様のことを直接知っている人々が天に召されていく状況の中で世代交代が起こり、何かキリストの力が過去のもののように感じられてきた時期でもありました。キリストの力は、もしかするとイエス・キリストが生きたその同時代の者たちだけに及んだのであり、自分たちや他の時代の者には直接関係がないのではないだろうかという不安をおぼえたことと思います。ですから、そういった中で、主の言葉は枯れてしまう草や、しぼんでしまう花のようではないとの言葉は、実際のこととして説得力のある言葉でした。時代を通じてどの時代にもキリストが生きて働いておられるのだということ、またそれは決して一世代だけのことで後は枯れてしまうというようなものではないと言います。
 そして、そのことがこの手紙では具体的に展開されていくことになります。例えば、3章を見ると、イエスが霊において、旧約聖書の最初の方に出てくるノアの箱舟の時代にまで行って宣教したという珍しいことが書かれています(19節)。これは、信じる機会のなかった人々のところへもキリストが行ってくださったということです。そしてその根拠が、イエスご自身の掛かられた十字架にあり、そのことによってイエスは扉を開くようにして時代を越えてまでも人々のところへ行ったというのです。これは関連した話ですけれども、日本に宣教師たちが最初にやってきた時に、キリストを受け入れた人々は宣教師たちにある質問をしたと言います。それは、自分たちの先祖はどうなるのだろうか、という疑問でした。実際にそういった思いで墓前に立ったことを思うと、これは実に日本人らしい気持ちだと思わされます。しかし、聖書の時代の人々も似たような問いを持ったようです。そして、それを安心させるかのように先の説明が為されているのです。その意味では、聖書の世界というのが、キリスト教の文化がその歴史に長く根付いた国よりも、むしろ今日の私たちの生活の状況の方が近いということは大変興味深く、またそこに慰めや発見があると思うのです。
 またそのように考えると、聖書の時代の信仰者たちは、キリストの十字架についてより深い理解を得たということだと思います。ここでは、キリストが十字架につかれたことによって、まるで時代を越えてキリストがその隔てを自由に行き来することができるようになったということを、「ノアの箱舟の時代にまでも」ということを通して伝えています。そして、そうであるならば、そのことはましてや過去のわたしの過ちをも贖(つぐな)い、そしてまた、自分よりも上の世代の過ちというものがあるならば、それをも贖うのだということを意味しているはずなのです。
 少し話が変わりますが、以前、ある老紳士が私の実家に訪ねて来られたことがありました。長年私の父と親交があったが葬儀に出られなかったので、せめて遺影の前で手を合わせたいとのことでした。早速上がって頂き、即席の台のようなところに写真が飾ってある部屋で、その方はそこにお供え物を置いて下さいました。当時、実は教会の葬儀に来て下さった方々には献花料などをお断りしていて、そのことをそれとなく伝えると、少し気分を害されたようにその方は「これはさせて下さい。献花料とはちがいますから」ときっぱりとおっしゃいました。おそらくお気持ちとしては、写真の前で手を合わせるということや、何かを供えるということは、亡くなった相手の「ために」という機会であり、それを奪わないで下さいということだったのだと思います。
 考えてみれば、私自身、個人的にお世話になった方が天に召されたということを後から知り、そういう時というのはどこか心の中で清算されない思いが残り、何かお別れをする機会を逸したような気持ちになったことがあります。そういうことを経験することはないでしょうか。そしてもしかすると、日本のしきたりの中で信仰を持って生きるという場合、意外とこれに類することが多いのではないかと思うのです。たとえば今日の聖書の箇所の時代に生きた人々も、きっと既に天に召された人たちとのつながりというものが、信仰によって断たれたような気持ちになり、何もできないという不安を抱えることであったのではないかと想像します。
 しかし、先の箇所から分かることは、「ノアの箱舟の人々まで」とキリストの働きが具体的に記されているということです。そして私たちはそこに委ねることができるということだと思います。また、実際に祈るということができるということの意義を過小評価してはいけないということではないかと思います。私たちの生きる社会では、キリスト教が必ずしも広く認められている訳ではなく、また時に家族の中でもキリスト教に理解がなく摩擦のあるという状況に置かれているという場合が実際にはあります。しかし、実はそのような状況は、一世紀、二世紀の聖書の書かれた時代に生きた人々も経験していて、そこから教えられることが多くあると思うのです。
 そのようなことを踏まえ、もう一度、この手紙が伝えている励ましに目を留めたいと思います。1章には次のような言葉があります。「今しばらくの間、いろいろな試練に悩まねばならないかもしれませんが、あなたがたの信仰は、その試練によって本物と証明され、火で精錬されながらも朽ちるほかない金よりはるかに尊くて、イエス・キリストが現れるときには、称賛と光栄と誉れとをもたらすのです。あなたがたは、キリストを見たことがないのに愛し、今見なくても信じており、言葉では言い尽くせないすばらしい喜びに満ちあふれています。」(1:6-8)。ここには、しばらくの間、様々な試練に悩まなくてはならないのですが、「それにもかかわらず」喜びがあるということが書かれています。
 思い起こせば、聖書にはこの「にもかかわらず」の話が多く記されています。たとえば漁にでかけた弟子たちが何もとれず諦めているところに、主イエスが沖へ出て網をおろしなさいと言われた時、一晩中何もとれなかったけれどもお言葉ですからと従った弟子たち。彼らもまた「にもかかわらず」の信仰を生きました。あるいはまた、五千人以上もの人々が集まって草の上の座っている時、日も暮れる中で一人の少年は二匹の魚と五つのパンを差し出しました。状況に対して決して足りる分量ではないけれども、その「にもかかわらず」の姿勢を主イエスはご覧になり、大いに祝福されました。主イエスは、その信仰を見られたのではないでしょうか。そして、その信仰は、苦しみの中で精錬され、金よりはるかに尊いと、その約束が記されています(7節)。そこに、私たちが本当に喜ぶべきことがあると示されています。
 状況に何らかの不足を経験しまた逆境に遭いながらも、それにもかかわらず確固たる信仰の確信を与えられて歩むことができるということを、この手紙はまず初めに記し、励ましを伝えています。私たちもこのことに心を留め、今週もそれぞれ与えられた道をどうか歩んでいくことができますように祈りたいと思います。
(2018年8月12日 礼拝説教要旨)