平和の祈り

《 アモス書 5章24節 》
 今年は記録的猛暑となる中、皆さん、いかがお過ごしでしょうか。自然災害で被災された方々のことを心にとめ、祈りを合わせます。また、この夏をそれぞれに過ごされる中で、平和への思いを篤くしておられることと思います。
 8月になると、多くの教会では「平和を求める祈り」(下記参照)が祈られ、またその言葉が讃美歌により歌われます。真の平和を求め、「理解されるより 理解することを、愛されるよりも 愛する心を」と祈る言葉を、何度でも言葉にして祈りたいと思わされます。
 また、「神よ、わたしをあなたの平和の道具としてお使いください」との言葉がありますが、「道具」と訳されている言葉は、「水路(チャネル)」とも訳される言葉です。流れ出る神様の愛は、水路がなければ伝わることはできないとの意味で、水路は常にそれが淀むことなく流れ続けるための働きをし、そのような平和のための器と成らせてください、との祈りです。
 パキスタンやアフガニスタンで活動する、NGO団体ペシャワール会(→外部リンクの働きを思い出しました。医師である中村哲さんは、最初の十数年間はハンセン病の治療やマラリアの予防に従事しますが、現地で人々が病気にならないための環境づくりが重要であると考え、井戸を掘り、灌漑事業に取り組みました。1万6500ヘクタールに水を供給することに成功し、およそ65万人もの難民の人たちが、用水路の流域で農業を営み生活できるようになったといいます。今年2月、長年の功績を称えて、アフガニスタンの大統領から勲章が贈られました(日本では残念ながらあまり報道されなかったようです)。乾いた大地に、まさに水路を通す働きがどれほど人々に恵みをもたらしたことかと思わずにはいられません。
 「恵みの業を大河のように、尽きることなく流れさせよ」(アモス5章24節)
 私たちも置かれた場所は異なりますが、ささやかであっても恵みの業をそれぞれの場で流れさせる働きの一端を担うことができますように。またこの季節、教会も平和のための祈りの務めをしていきたいと思います。

 

   「平和の祈り」

平和の道具と ならせてください。
憎しみに愛を 戦に和解を
分裂に一致 疑いに信仰 
誤りに真理 絶望に希望 
暗闇に光 涙に喜び
もたらす器と ならせてください。

なぐさめ求めず なぐさめることを 
理解されるより 理解することを 
愛されるよりも 愛する心を 
敵をもゆるして ゆるされることを。
自分のいのちを 献げて死ぬなら 
永遠のいのちに 生きるものとなる。

※讃美歌21 499番より。
※原詞は、13世紀のイタリアの修道士アッシジのフランチェスコによる

 
(2018年8月12日 教会学校礼拝説教より)

★中村哲さんのご逝去の報に接し、そのお働きを心に刻みつつ、心から哀悼の意を表します。(2019年12月5日)