教会生活での交わり(イエスの命が現れるために)

《 ヨハネによる福音書17章20~26節 》
 今日は、教会信仰懇談会の第一部としての礼拝説教となります(そのため、いつもより少し長めです)。今回のテーマは、教会生活での交わりという内容です。教会での交わりということについて考えると、世代間の交わりや、さらには、教会学校との関りについてなど具体的なことを思いめぐらします。しかし教会における交わりについて考えることは、教会の本質を考えることではないでしょうか。私たちが日曜日ごとに集う教会とは、そもそもどういう場所であるのかということに深く関わっているからです。
 少し以前の『信徒の友』を見ていましたら、こういう記事がありました。山下萬里牧師という隠退教師の書かれている文書です(2003年2月号)。それによれば、教会という言葉を翻訳する際に漢訳聖書を基にして邦訳聖書も「教会」としたことは、果たして良かったのだろうかと問うています。というのも、そこには「共同体」という意味合いが表現されていないからです。教会は本来、教える会ではなく、また効率の良い組織でもなく、共同体であるはずです。「共同体は共に生きます。共に生きるために愛が必要なのではなく、共に生きようと意思する時、愛はその場その時に応じて様々な形をとって現われます」と言い、交わりにおける三つの側面である「共にいること」、「共にあずかること」、「共にすること(為していくこと)」を挙げています。
 それでは「共に」という視点を大切にした共同体とは、世の中の共同体とどう違うのでしょうか。例えば町内会の集まりとはどう違うのか。もちろん、イエス・キリストを中心にということは間違いないことですが、そもそも、私たちを支えているものは何だろうか。それは具体的にはどういうことなのかいうことを念頭に置きながら、今日はヨハネ福音書の箇所を共に見てみたいと思います。

 ヨハネ17章は、大祭司の祈りと言われる箇所です。弟子たちのために祈る主イエスの姿があり、彼らをどうか守って下さいと切に執り成しを祈っておられるのがその所以です。この祈りを見ると、主イエスの心が現れています。祈りの言葉やその姿勢は、神と相対して話をしているような祈りであり、そこには、生き生きとした人格的な交わりがあります。
 特にヨハネ福音書が書かれた当時には、ユダヤ教の側からの迫害がありました。イエスについての揶揄もあったに違いありません。あなたたちが信じているイエスは十字架の上で何もすることができなかったではないかと。神の子と言うけれども結局は無力な者ではなかったかと。そういった言葉に思いが支配されると、人々はぐらついたのだと思います。イエスは、神と関わりのない者だったのだろうか、信じるのは空しいことなのかと、思ったことでしょう。
 しかし、聖書はそれに答えるかのように、イエスと神との結びつきを強調し、今日の箇所では、神とイエス・キリストとは「一つ」であると、繰り返し示しています。そして、そこには、命通うような交わりがあることをあらわしています。仮にその反対の状態を想像すると、命のない人形のような存在ということになりますが、決してそうではなくて、イエス・キリストというのは、ここに記されているような切なる祈りの言葉をもって、今日も執り成していてくださるお方です。命の流れが通い合うものがあるということを、今一度心に留める必要があるのだと思います。
 使徒パウロはこういう言葉を言いました。「イエスの命がこの体に現れるために」(第二コリント4章10節)。この「体」というのは、パウロ個人、または信仰者個人ということですが、教会という共同体も同じだと思うのです。イエスの命が教会という体に現れるために、と言うことができます。パウロは、この箇所では私たちは土の器であると述べています。やはり、どのような人も神様の前には、もろい土の器ですし、教会もまた弱さを抱える土の器です。しかし、欠けのある器であるからこそ、そこに主イエスの命が現れるのだと言うのです。
 宛先であるコリント教会の信徒たちの置かれている状況とは、どのようなものであったでしょうか。それを知ることで、パウロの言葉の意図もより鮮明になります。コリントというのは、パウロが入っていった時は、再建されておよそ百年程が経った時でした。一度ローマ軍によって徹底的に滅ぼされ、そしてローマ人たちが人工的に建てた都市でした。そこに人々が急速に入植して一気に人口が増えた都市です。そういう場所には、元々あった人間同士の繋がりがないので、自然発生的に同業者であるとか、趣味であるとか、共通の何かをくくりの基本として繋がりができ、自発的な集まりや群れができます。また一世紀においては、実際に生きていくためにも人々との繋がりは必要不可欠でした。そういった状況にあるコリントという都市の場合には、伝統的な土地柄とは違いパウロも入っていきやすかったようです。さらに当時コリントにおいては、オリンピックのような大競技会が定期的に開催されるようになり、経済も潤い右肩上がりであったと言います。そのような社会的な状況下でコリント教会には多くの人々が加わっていきました。そしてパウロは、キリストによる共同体を作り、自分たちは他の集まりとは違うのだということを言います。「あなたがたはキリストの体であり、一人一人はその部分です」と言い、「一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです」また、見栄えの良い部分よりもむしろ一見「弱く見える部分が、かえって必要なのです」と言います(第一コリント12章22節)。
 これは、コリント社会における社会の価値観と全く逆の発想でした。多くの者がコリントにおいて地位や名誉を得ようと、露骨に競争し、自分よりも強い人々に属そうとする中で、キリストの共同体は全く異質でした。パウロは正にそういった世の中に対して、キリストの共同体とはイエスの命が現れるところであると言います。まるで合い言葉のように「イエスの命があらわれるために」と繰り返し語ります(第二コリント4章10節以下)。
命が現れるとは、どういうことでしょうか。よく植物や花などを見ていると、葉の先端などが茶色くなった部分があったり、虫食いの部分があったりしますが、逆にそれによってそれが造花でなく本物であることがわかります。命流れるものであることがわかります。私たちも生かされていると実感するのは、むしろそういうことなのかなと思うことがあります。生身の体、身も心も弱いところがあるけれども、それによって、今日も私たちは生かされていることに気づかされます。思えば、福音書の中の弟子たちについても、それは武勇伝というよりは、失敗談の連続の中で主イエスの愛が語られている。そういう仕方で、イエスに愛され、イエスに祈られているということを実感しました。正にイエスの命が現れているのです。私たちにおいても、しかりではないでしょうか。土の器という存在自体がイエスを証ししているのだと思います。また生かされているということについて、さらにパウロは復活の命が私たちに現れていると言います(ローマ6章4節)。私たちの内にはそのような命が流れていることを改めて思わされます。
 ところで、みなさんは日本人で初めての牧師となった人物のことを聞かれたことはあるでしょうか。奥野昌綱という牧師で1877年に日本人初の牧師になりました。この牧師が作詞した讃美歌が実は『讃美歌21』の中に収められていて、543番「キリストの前に」がその曲です。後ほど共に歌いたいと思います。奥野昌綱という人物は、明治維新という日本の大転換期の渦中にいた人でした。10才で上野の寛永寺にあずけられ、そこで文武両道を身につけ、そして百芸に秀でていたとも言われています。彼は後に旧幕府軍、上野彰義隊の一員として新政府軍薩摩、長州藩と戦い、残党として敗走することになります。それまでの地位と名誉を失い各地を流浪し、そうして横浜に滞在していた際に、宣教師ヘボンとバラに出会うのです。ご存知ヘボンは、ヘボン式ローマ字を考案し、明治学院を創立しましたし、バラも明治期のプロテスタント教会の基礎を据え大きな影響を与えた人物です。奥野は若き時より自分が誇りとしていたものを失い、流浪する中で自暴自棄になっており、年齢も五十になっていました。そのような時に、不思議な出会いにより、彼は宣教師バラより聖書の中の特にペトロの話を聞くのです。何度もイエスを否んだペトロが我のように思えたと、そしてそれは、あの振り向いてペトロを見つめられた同じイエスの眼差しに気付き、今も愛をもって接せられる主イエスに出会った時でした。彼は洗礼を受けました。その時彼は五十二才でしたが、そこから彼の第二の人生が始まるのです。彼は幼少時から国文、漢文、書道、歌を習い、その真髄を得たような人でした。その彼が宣教師ヘボンの日本語教師となり、彼の英和辞典の編纂を助け、新約聖書の翻訳と版下書きに精力を注ぎました。また、彼は讃美歌を作詞しました。この543番の歌詞が彼の作です。
 改めてこの讃美歌を開くと、気づかされることがいくつかあります。歌詞は実際には現代風の言葉にされていますが、元の意味は変えないようにされ、特に歌い出しは創作当時のものにされていると言います。「キリストの前に」、「キリストの愛を」、「キリストにならい」、「キリストのために」との言葉が各行の先頭にきています。彼自身がキリストと出会った、その嬉しさが、繰り返される歌詞に込められているようにも思います。また、右上にローマ字で曲名が書かれています。MAJIWARIとあります。もちろんどの曲も曲名は統一されてアルファベットで書かれている訳ですけれども、改めて「交わり」という言葉をローマ字で見ると、不思議な思いがします。というのも、実際に彼が日夜、宣教師ヘボンやバラを助け、聖書翻訳などの際に数えきれないほどの日本語をローマ字に直していたということと重なり、そこから想像できるからかもしれません。
 いずれにしても、この素朴とも思えるような歌詞に、「キリストとの交わり」、そして、そこから広がる、「互いの交わり」、が綴られています。決して凝った言葉が用いられているわけではありません。しかし、キリストという言葉を繰り返し共に歌う時、気がつけば、「共にあること」また、「互いに」ということを静かに、しかしはっきりと意識させられる歌詞であると思います。そう考えると、私たちの交わりとは、いたってシンプルなものかもしれません。どのような時代であっても、キリストの前に喜び集まり、キリストの愛を感謝して歌う時、必要なもの全てがついてくるように思うのです。一人一人がキリストの愛に今日も満たされている。もしそうであるならば、互いに為すべきことも、また祈るべきことも、自然と伴ってくる。そのことをこの歌詞を繰り返し歌う時に思わされます。それは、根本的には作るものではなく、与えられるもの、または与えられているものではないでしょうか。教会の交わりという恵みはどのような時代にも、時代の転換期にあっても、決して変わることはないと、そう聞こえてくるような讃美歌です。
 今日の聖書の箇所には、「世がイエスのことを知るようになる」、と繰り返し出てきます。さらに外へと広がっていくことが書かれています。それはつまり、イエスの命が私たちの内に脈々と流れ、それが人々にも伝わるということです。意識するべきことがあるとすれば、それは特に交わりという他者との触れ合いの場において、お互いの生身の人間としてイエスに励まされている姿や、日々イエスの命に生かされている姿を通して、私もまた励まされるということではないかと思います。そのような時、主イエスが弟子たちのことを切なる思いで祈られた時と同じように、イエスの命が今日も現れているのだと思います。本物の命として、伝わり、またその人の内に、流れていくのだと思います。
 私たちも、どうかそのように執り成し祈る主イエスを常に心に留め、またイエスの命が現れる教会でありたいと思います。
(2017年1月29日 礼拝説教要旨 教会信仰懇談会メッセージ)