最後まで耐え忍ぶ人は救われる

《 マタイによる福音書 10章16節~25節 》
「私があなたがたを遣わすのは、狼の中に羊を送り込むようなものである。だから、あなたがたは蛇のように賢く、鳩のように無垢でありなさい。人々には用心しなさい。あなたがたは地方法院に引き渡され、会堂で鞭打たれる。また、私のために総督や王の前に引き出されて、彼らや異邦人に証しをすることになる。引き渡されたときは、何をどう言おうかと心配してはならない。言うべきことは、その時に示される。というのは、語るのはあなたがたではなく、あなたがたの中で語ってくださる父の霊だからである。兄弟は兄弟を、父は子を死に渡し、子は親に反抗して死なせるだろう。また、私の名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。一つの町で迫害されたときは、他の町へ逃げなさい。よく言っておく。あなたがたがイスラエルの町を回り終わらないうちに、人の子は来る。弟子は師を超えるものではなく、僕は主人を超えるものではない。弟子は師のように、僕は主人のようになれば、それで十分である。家の主人がベルゼブルと言われるのなら、その家族の者はなおさら悪く言われることだろう。」。

 キリシタン禁制は豊臣秀吉が1587年バテレン追放令を出したのを契機に、江戸幕府は1612年禁教令を出して、キリスト教を禁止にしました。ところが、江戸時代には信仰を隠し、潜伏キリシタンとして、長崎や天草地方を中心に信仰生活を続る者が大勢いました。それは寺の門徒を隠れ蓑にするような特殊な形態でした。禁教令が出た後の110年で20万人以上のキリシタンが殉教しました。250年続いた禁教令は、日本の開国と共になくなってきました。開国直前の1867年(慶応3年)に潜伏キリシタンとして信仰を守り続け、キリスト教信仰を表明した浦上村の村民たちが、江戸幕府の指令により大勢が捕縛されました。これが、浦上四番崩れです。崩れは、1つの地域で大勢のキリシタンの存在が発覚する事件でした。間もなく江戸幕府は瓦解しますが、幕府のキリスト教禁止政策を引き継いだ明治政府の手によって、集団で信仰を表明した浦上村(現・長崎市)のほぼ全村民約3400人が日本各地に流刑にされました。金沢、名古屋、島根県などへも送られました。村民たちは各地で拷問を受け、約660人が殉教したとされています。
 金沢では、やってきた500名を超える浦上キリシタンを卯辰山の山中の牢に幽閉しました。拷問では、冬寒い中に氷を抱かせたので何人かが死にました。それを見て転向する者も出てきました。また同じ浦上四番崩れで、島根県津和野に流刑にされた者もいました。雪深い津和野の乙女峠の一隅にある、氷の張った池に裸にされて投げ込まれるという拷問を受けたのは、病身の仙右衛門や甚三郎でした。役人に「上がれ」と言われましたが、「宝の山(天国)が間近なので上がらない。」と答えました。恐らくこれは、殉教という栄光の宝の山を登り切るところまで来ているのだから、自分の意志としては出たくないという意味だと思われますが、役人に池から引きずり出されました。この2人は生きのびて、これらの話を語り伝えました。また明治2年1月10日、森安太郎という若者は、見せしめのため、裸で雪の中の三尺牢(縦、横、奥行きが99センチメートルの立方体の格子の牢で外から中が見えていました)に入れられました。森安太郎は、おとなしく明るい性格で立派な人でしたから、役人は彼が棄教すれば、仲間もキリストの教えを捨てると思ったのです。ところが、そのようはなりませんでした。仲間は安太郎のために祈り、夜陰に紛れて3人が慰撫しに行くと、三尺牢に入れられた彼の言葉を聞いて驚きました。「私は少しも寂しゅうありません。毎夜、九つ時(12時)から明け方まで、聖母マリア様に似た青い布を頭にかぶり、青い服を着た女性が頭上に現れて、話をしてくださる。とても良い話をして慰めてくださるのです。けれどもこの話、私の生きている時は人に話してくださるな。」と言って、最後まで棄教しませんでした。この方は3日のち殉教しました。30歳の若さでした。また5歳の女の子、岩永もりちゃんに行った役人の拷問は、飢えに苦しんでいるもりちゃんに対し、役人はおいしいお菓子を見せて言いました。「食べてもいいけど、そのかわりにキリストは嫌いだと言いなさい」と。しかし、もりちゃんは「パライゾに行けば、お菓子でも何でもあります。」と拒否して答えました。この子も殉教しました。連行された153名の中37名が殉教しました。流刑者が幽閉されたのが、津和野町の乙女峠にあった古寺「光琳寺」でした。イエズス会のドイツ人司祭パウロ・ネーベル神父の働き掛けなどにより、カトリック広島司教区が太平洋戦争開戦前の1939年、光琳寺跡地を購入しました。戦後の51年に「乙女峠記念堂」(乙女峠マリア聖堂)を建立しました。その翌年から毎年、聖母行列や野外ミサなどを行う「乙女峠まつり」が開催されています。憲法記念日の5月3日に開催されるようになったのは54年からで、信教の自由の大切さを覚える意味が込められているのです。
 今日の聖書の箇所は、12使徒が派遣される場面です。12人はイスラエルの12部族をあらわし、全イスラエルが神様に選ばれ使命を与えられていると理解できます。これはイエス様を主と信じ、主から選ばれている新しいイスラエルである12人のキリスト者のことなのです。この選びと派遣は、私たち自身のことに他なりません。だから主日ごとに教会に招かれ、祝福の祈りをうけて教会から持ち場に向かって派遣されていきます。派遣される際に、イエス様の注意と配慮が与えられています。私たちは教会で与えられた御言葉を携えて、この世へと派遣されていきます。それもイエス様に励まされて出発します。
 一方、派遣される者にはイエス様は厳しく諭しています。「私があなたがたを遣わすのは、狼の中に羊を送り込むようなものである。」人々から受ける抵抗や困難や迫害を予告し、その時の心得を語られました。大切なことは「だから、あなたがたは蛇のように賢く、鳩のように無垢でありなさい。」ということです。聖書では、主なる神様が造られた野の生き物のうちで最も賢いのは蛇でした。蛇の誘惑によって人類に罪と死がもたらされる結果になったとあります。その蛇のような賢さと素直さとを兼ね備えることをすすめられています。どのようにして、この賢さと素直さとを兼ね備えることができるのでしょうか。イエス様の生き方と御言葉から教えられます。たとえばイエス様の賢さは、ファルサイ派の人々が、イエス様の言葉をとらえ罠にかけようとやってきたときにあらわされました。「皇帝に税金を納めるのは許されているでしょうか、いないでしょうか。」と質問されるとイエス様は、彼らの悪意を見抜かれ「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」と言われたのです。イエス様は賢く答え、ファリサイ派に反論させませんでした。
 同様に私たちは、伝道において非難されるようなことがあるときには、信仰についてよく弁明すべきです。信念を固く保ち、信仰を掲げてイエス様に従っていることを証しすべきです。イエス様は総督や王の前に引き出されたとしても、はっきりと自分の信仰を表しなさいと教えています。そこで信仰を反対されたり、批判されたり、罵られたりした時、言いなりになってはいけません。人生の中心にある自分の信仰をはっきり弁明できなければならないのです。何が起こるかわからないから不安に押しつぶされそうになるでしょう。イエス様は心配しなくてもよい、神様の御霊が何を語るべきかを教えてくださると言っています。
 反対や迫害が肉親の間からも起こることを想定しています。親子兄弟の間から反対や迫害が起こったなら耐えがたいことです。そのようなとき逡巡し妥協してしまいがちです。イエス様も自分の故郷では敬われることはなく追い出されました。初代のクリスチャンたちは、あまりに熱心に伝道をしたので身内も反対したのです。反対されるには明確な理由があります。人々に激しく罪の悔い改めを迫ったからです。悔い改めの呼びかけは、生き方を否定されたと感じ激しく反発したのです。ステファノが怒り狂ったユダヤ人に石で撃ち殺されたようにです。キリスト教が破竹の勢いで発展した、1世紀から4世紀の初頭は、ローマによる迫害の時代でした。多くのキリスト者は忍耐し弁明し信仰を貫き殉教する生き方で主を告白しました。殉教者の血は教会の種であるとまで言われています。
 イエス様は「最後まで耐え忍ぶ者は救われる」と言われました。神様から引き離し、信仰を軽視させることを耐えて進まなければなりません。迫害の故に霊肉とも力が落ちて心が弱くなっている時、反対に人が欲望に流される時、サタンは正義の装いで近づき、人を破滅へと導きます。複雑に絡み合った呪縛の中にあっても、この世の生涯を全うするまで耐えていきましょう。耐え忍ぶと言う言葉は、逃げないで踏みとどまると言う意味です。日々の大切な信仰生活に踏みとどまることです。私たちにとって信仰生活は教会生活ですから、教会に踏みとどまりましょう。教会生活を送るとき神様に養われ忍耐を学ばせ成長させられます。人生の勝利に与ることができるでしょう。教会はキリストの生ける体で、キリストが御臨在くださり働いていてくだいます。その主に頼りつつ最後まで耐え忍び永遠の生命に与る者となりましょう。潜伏キリシタンは、拷問され、懐柔され、問い詰められました。その時語った言葉は、約束どおり主によって信仰の極みの言葉が与えられたものです。私たちも、同じ思いをもってイエス様を主と告白し続けるようにしたいものです。いつまで耐えればよいのですか。「人の子がくる」再臨の時までです。私たちは再臨の主に望みをおき、忍耐することを喜びとしていきましょう。

(2025年7月20日 主日礼拝説教要旨)